日本政府公認の国際結婚第一号_新郎と新婦

日本で最初の国際結婚はいつ?気になる始まりの日

日本政府公認の国際結婚第一号_世界の国旗

昨今ではそこまで珍しいと言われなくなった国際結婚。
日本に様々な目的で外国人が訪れることから出会いの場も多くなっています。

では、そんな国際結婚が最初に行われたのはいつかご存知ですか?
昔となると海外に行く手段も限られているので、出会うこと自体が難しいものでした。

今回はその最初の国際結婚についてのエピソードをまとめていきます。

その結末は意外なものになっていますので、最後まで読んでもらえると幸いです。


日本最初の国際結婚は長州藩の男性とイギリス人の女性

日本政府公認の国際結婚第一号_世界の繋がり

日本政府が最初に認めた国際結婚は1873年の3月14日のことです。
実際にはイギリスで1年前の1872年の9月20日に結婚が行われていますが、日本に婚姻届が出されたのは翌年であったそうです。
日本ではこの3月14日を「国際結婚の日」と定めています。

それによって夫婦となったのは長州藩の南貞助とイギリス人のライザ・ピットマンの二人でした。

南貞助は高杉晋作の従弟であり、高杉の養子にもなっていた人物です。
そんな貞助がライザ(イギリスではエリザ・エライザ読みとも)と出会ったのはロンドンへ留学していた時であり、それは1871年のことでした。

つまりは二人が出会ってから結婚するまでは1年にも満たない期間だったことになります。


昔でも問題になっていた?家庭内暴力による離婚へ

日本政府が認めて記念日にもなっている最初の国際結婚ですが、この二人のエピソードは良い事だけでは終われません。

なんと、結婚から10年後の1883年に貞助とライザは離婚をすることになります。

理由はライザによる家庭内暴力と言われていて、その対象は夫の貞助だけではなく、貞助の家族にまで及ぶもので、なおかつその暴力は激しいものだったようです。
ライザがこのような行動を取ったのは元々貞助と結婚することで裕福な暮らしをできると思っていたものが、日本では期待していたほどの生活ができなかったからと推測されています。

また、二人の間には子どもができておらず、それは貞助からしても良い方向ではないもので、それらが重なって離婚に繋がってしまったという見方もあります。

日本で最初とされる国際結婚は現代でもよく聞くDVや子どもができないという理由によって悲しい終わりを迎えていたのです。


国際結婚は離婚率が高い?現代ではどうなっているのか

最初の国際結婚が離婚で終わるというエピソードを見て、やはりと思った人もいるかもしれません。
それは国際結婚自体が離婚率が高いと一部で言われていることからそう思う人がいるからです。

ただ、実際に離婚率が高いかといわれると、多くの場合で言われる7割もあるわけではありません。

婚姻したカップルがその同じ年に離婚するわけではないので、正確な離婚率を出すことは難しいものです。

なので、最初の国際結婚がこのような結末であっても、周りが離婚率が高いといっても、それが正確なものとは限らないと思っておきましょう。


まとめ

日本政府公認の国際結婚第一号_新郎と新婦

最後に日本で最初の国際結婚についてまとめていきます。

  • 日本で最初の国際結婚は記念日にもなっている1873年の3月14日
  • 夫婦となったのは長州藩の南貞助とイギリス人のライザ・ピットマン
  • しかし、10年後の1883年にライザの家庭内暴力により離婚している

留学先での出会いからの結婚という素敵なエピソードで終わることができませんでしたが、この二人が最初に結婚してくれたからこそ、今では国際結婚が受け入れられるようになっています。

また、このエピソードはあくまで日本政府が認めたというものなので、もしかしたら誰も知らないところで日本人と外国人の愛が育まれていた可能性もあります。

そんなロマンティックさもある国際結婚なので、もし、意中の外国人のいる方は離婚率なんかに惑わされずに幸せを掴みにいってみてください。


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